見えそうで見えない。

とうとう私も50歳になった。
そりゃ生きていりゃ、いつかはなる。


最近、なんだかみえそうでみえないことがある。
分かりかけて、まだわかってないこと。


人が生きる意味。
この世の天命。


私の背負ったカルマ。
消化しきれてない、もしかしたら今世で増やしてしまったかもしれないカルマ。


やはり若さは未熟だ。
ある程度歳を重ねてくるとみえてくるものがある。


自分の天命をしっかりと理解した時に、私はこの世からさるのかもしれない。
そんな気がする。
最後にわかるのか、今見えそうで見えなかったものが。わかりそうで、わからないことが。


毎日たくさんのお客様と話す。
いろんな人と接する。


お客様は良い方ばかりで、恵まれています。
なんて綺麗ごとは言えない。
問題を起こす方はそりゃいないが、でもやっぱりたくさんの人と話すとみえるものがある。


その人の心根が見えるときがある。


そんなとき、まるで自分が能力者になったように
感情がふわーッと見える。


上っ面の人がいる。
心から尊敬できる人がいる。
幼い人がいる。
妙に悟っている人がいる。
その人たちの奥が見える。


見えるような気がする。


私はそんな人たちを見て学ぶ。
親切にしてみたり、陰で文句を言ってみたりする。


私は?


私はなんだろう。
幼いなぁ。まだ。
魂が幼い。


昔は自分の魂が幼いことにさえ、気がつけなかった。
理想の自分がいて、それになっているつもりだったけれども。
やはり私は幼い。


私も学べているだろうか。反省はできているだろうか。
優しい気持ちと慈悲があるだろうか。
たまにフラッシュバックする過去の悔しさとか恨みをきちんと消化できているだろうか。
自分の分を理解できているだろうか。


ご縁とか感謝とか、そんな言葉を忌み嫌ってしまう私の心根は何だろう。
でも胡散臭い商売している人に限って
ご縁に感謝とか、私の嫌いなワードをダブル使いしてきちゃったりすんだよな。


叩かれたら叩き返したくなり、
つばを吐かれたら、吐き返したくなる私はまだまだなんだろうか。
しかし、馬鹿にされたら馬鹿にし返したらいけないのだろうか。


あーまた子供みたいなことを言ってるな私しゃ。