ピアで少し仕事して一万円。


夜20時頃。


同棲している彼氏が仕事で遅くなる、と連絡があったので
生理一日目にも関わらず
ピアにて待機。


上手くいけば少しでも繋がればいいなぁ、なんて思っていたら
本当にうまく繋がり2時間半。
前にも何度か話したことがある人だったので
生理ということも理解してもらい
会話オンリーでオッケーだった。
脱がなくていいのは正直ありがたい。


裸になるパフォーマンスって体力気力使うのよね、意外と。
会話が成立しないタイプの相手だと
脱いで抜かせてすぐ終了したほうが楽だけれども


会話が成立して、なおかつ楽しい話ができる相手なら
脱がないほうがもちろん楽だ。
そして時間も引っ張れる。


覗きも少しチラチラと付いて
二時間半で約9500円。


夕方のまちゃの待機保証500円も入れたら
なんとか今日の稼ぎは一万円也。



しかし生理痛が一日目は本当に辛い。


生理痛の痛みは子宮の内壁に張り付いた血をはがすために
子宮自身がキューっと縮むことで痛みが生じるそうだ。


お腹の中で内臓が中でキューっと縮むなんて。。。そら痛いわなぁと。


私は26歳の時に流産をしたことがあるのだけど
その時まさに生理痛と同じ下半身の痛みがキューっときたことを覚えている。
生理痛と流産の痛みが同じなんだと
知らなくていいことを知ってしまった上に赤ちゃんもいなくなってしまった。


計算する必要ないけれど
あの時の子供がもし生まれていたら、もう今年は成人式を迎える歳になる。
マゾか、私は。
いないもの、手に出来なかったものを数えてみても虚しいだけなのに。


私は今まで三回妊娠を経験している。
最初の一回は堕胎し、残りの二回は流産だ。
妊娠経験としては悲しいものだ。
命の宿りは常に祝福に包まれるものではない。


初めて妊娠したのは高校三年の冬だった。
相手は国士館大学の四年生だった。


大きめな瞳の、垂れ目が特徴のある甘いマスクをした男だった。
でも背が低かった。
向かい合って座っていると、顔ばかりが目にはいるので
顔を見つめながら話していると
ときめくことがあったけれども


立ち上がると背の低さとスタイルのバランスの悪さが際立ち
一緒に歩くのは恥ずかしかったりもした。
何でそんな男と付き合っていたのか?と聞かれると困るけれども
私は顔の良い男が好きなので
顔だけで付き合っていたのだと思う。


今も顔の良い男性が好きだ。
ただし顔の良さの基準は昔とはだいぶ異なってきている。
顔には内面がにじみ出ることがわかっている今は「かっこいい」の基準は
10代のころとはだいぶ異なる。


彼はテレクラで出会った男だった。
当時10代後半の私は、自分の有り余る性欲を処理する方法がわからず
バイトがない夕方にはテレホンカードを握りしめ
公衆電話からテレクラに電話して、その日のデート相手を探していた。


今考えると、よく危ない目にあったり、病気をもらわなかったものだと思うけれども。


テレクラ遊びにはまっているなんて、恥ずかしい、と当時も思っていたし、
こんなことやめよう、と何度も思ってはいたのだけれども、
私はテレクラ遊びをやめることができず
溢れる性欲も抑えることができず
16歳から19歳ぐらいまで、よく公衆電話にこもっていた。
一番仲の良い友達にも この遊びの話はしていなかった。


そんな出会いの相手とできた子供だ。


もちろん堕胎するしかなかったが
ちょうど期末テストの直前の時期と重なりすぐに手術することができず
学校もさぼりがちだった私は
高校が卒業できるかどうかの瀬戸際で一日も休むこともできず
確か発覚してしてから一か月ほどは手術の日を伸ばしたと思う。


つわりがひどく
学校のトイレでゲーゲー吐きながら
ドア一枚向うで同じ歳の子達が
クリスマスパーティの話題で盛り上がっているのを聞いていた。
私は自分がずいぶん遠くにきちゃったなぁ、、、、と感じていた。


そのあと大人になり
結婚して妊娠を二回したけれども
結局 流産してしまった。


二回目の流産のあと
高校生のころに堕胎したから
もしかしたら、その影響で流産しやすいのかもと話したら
夫は少し遠い目をして
子供がいなくても、楽しい人生を送れるはずだよ、と言っていた。


私がもし逆の立場だったとしても
きっと妻である女性にそんなことを言われたら
同じような言葉を言ったんじゃないかと思う。


そういえば、つわりで思い出したのだが、
私は結局 堕胎と流産の「手術」を三回したことになる。


そんなこと「たいしたことではない」と思いながら
というか「言い聞かせて」生きてきたが
三回の手術は、どれも鮮明に記憶に残っている。


やはり体も心も影響を受けた出来事だったんだと思う。


特に記憶にあるのは
手術の後に猛烈に「食べたくなったもの」のことだ。


一度目の手術のあとは「お汁粉」。
それもカップにはいったインスタントの汁粉。
お湯を注ぐとぺらぺらの餅と粉っぽい甘いあんこの汁粉ができるアレだ。


二度目の手術のあとは「サンドウィッチ」
コンビニやパン屋の惣菜サンドウィッチではなく
家庭でつくったようなサンドウィッチが食べたかった。
耳を切った薄切りパンにバターからしをたっぷり塗り
きゅうりの薄切りを並べ、ハムやチーズを挟んだアレが食べたかった。


そして三度目は冷やし中華。
チャーシューではなくピンクのハムと甘い卵焼きときゅうりだけのものを。
とても欲した。


今でもこの三つを見たり思い出したり、食べる時には胸の奥が少しシクッとする。
おいしい好物がシクッした思い出につながっている。
人に話してもこの感覚は通じない。
自分だけでいつも消化しながら何度も思い出している。
きっと70歳になっても思い出すのだと思う。



つらつらと書いているがブログというのは
なんというか
セラピーのような役割りがあるのかな。
文章を書く、という行為に。


私はとても嘘つきで見栄っ張りなので リアルの付き合いの中では
接した全ての人に嘘をついている。


親にも夫にも彼氏にも友人にも。


自分の気持ちを全部話したことは今までの人生 物心がついてから一度もない。
しかしこのブログでは誰に見栄を張る必要もないから全部書ける。


これはなかなかいいセラピー行為で癒し効果があるのではないかな。


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